histoire

シャンベランの歴史

シャンベランのメゾン誕生の裏舞台には、自由でクリエイティブにあふれたふたつのエスプリがありました。 化学の道を歩もうとしていたトマ・テフリ=シャンベランは、ブーランジェ(パン職人)に転職を決めます。天然イーストによるオーガニックパンの製造を始めた彼は、やがて2007年になると、パン職人国際学校(École Internationale de boulangerie)を設立。そしてもうひとりの立役者は、当時広告業界で働いていたバックパッカー、ナタニエル・ドボワン。社会的意義のある外食事業を始めるべく、キャリアを捨てることを決意していました。

イノベーション&持続可能を目指す

ふたつのイノベーションあふれるエスプリの出会い

トマは、アルプ=ド=オート=プロヴァンスンス県(フランス)で、グルテンフリーパンの発酵方法を模索し、米粉とそば粉による発酵研究を開始します。米粉とそば粉は、非常に多くの利点があるシリアルであるにも関わらず、パン発酵には向いていないシリアルとして認知されていました。 一方、ナタニエルは、というと、バックパッカーとして世界を飛び回っていました。旅行を通じ、人々の生活をより向上させたいとする彼の熱意はさらに強まるばかりでした。

« 心の奥底から、実現したかったこと。それは、例えば食べる・寝る、といったような、人間の最も基本的な必要性に可能な限り寄り添い、基本的な概念を共有し、日常生活の深い部分に根っこがある、そんなプロジェクトを始動させることでした  » ナタリエル・ドボワン

2012年、ふたりは出会ったとたん、あっという間に意気投合し、パリにオーガニック&グルテンフリーのブランジェリーをオープンさせるというビックビジネスが始動します。環境とチームスタッフに心からの敬意を払い、持続可能なプロセスに重きを置いた企業はこうして誕生し、シャンベランの歴史と素晴らしい友情の物語が始まったのです。

シャンベランのパンについて

稲作地からパンへの一括ルート

©Le Tone

他に類をみないプロセス

最終製品のトレサビリティの品質を保証するためには、グルテンフリーのみを取り扱う調達ルートと製粉ルートの構築が最重要でした。新しい調達ルートが誕生した結果、パン業界の境界線を刷新することに成功しました。

 製粉職人のステファヌ・ピシャールが仲介人となり、イタリアのシリアル業者ギアンマリオ・ヴィオラと、そしてイタリアのロンバルディア州で稲作を営むローラ&リヴィアとの出会いを果たしたシャンベラン。皆が、製品のクオリティを保証すべく、細部にまでわたる心くばりを行い、情熱を持って取り組んでいます。輸送にかかるカーボンフットプリントが微小であることを確認した後、シャンベランは皆で一丸となって働くことを決定しました。こうして、シャンベラン独自のオーガニック米ルートが確立したのです。 

シャンベランの製粉所

« 私の父がオーガニック業界のパイオニアのひとりとして奮闘していた30年前の姿と、今の自分の姿を重ねながら、私は米粉づくりに奮闘しています » – ステファヌ・ピシャール、シャンベラン製粉所所長・共同経営者

純正・トレサビリティ・安定を追求する製粉所

グルテンフリー保証のついた粉を製粉するためには、シリアルの製粉に一度も使用されたことのない、真新しい製粉機を扱う業者を見つけることが最重要課題でしたが、フランス国内での実現は不可能でした。それが理由で、シャンベランはメゾン独自の製粉所を設立するに至ったのです。こうして、製粉職人のステファヌ・ピシャールと協力し、アルプ=ド=オート=プロヴァンスンス県(フランス)のマリジャイに製粉所が誕生しました。設立までには、製粉機 を探し、地理的条件をクリアできる製粉所の建築スタイルを模索し、製造ラインやストックスペースを編成するなど、さまざまな規格や法規に合致するように多くの試行錯誤が繰り返されました。

2014年5月から毎週、シャンベラン製粉所で作られた粉は、シャンベランの各店舗だけでなく、多くの製粉業者やブーランジェ(パン職人)たちの手に届けられています。安定した高品質のグルテンフリー&無添加製品を使い、新境地へと挑むプロから、シャンベラン製品は多大な評価を受けています。

シャンベラン・ブック
パンの認識を変える

シャンベランの冒険ものがたりだけでなく、グルテン入りパンとグルテンフリーパンの違い、米についてのエッセー、世界中のさまざまなパン文化への旅、そしてシャンベランのレシピが詰まった一冊です。知識と食への歓び一杯に、たくさんの美しい写真とともに、シャンベラン・ワールドへとあなたをいざないます。

 

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